図書館へアニメ資料調査に行ってきたよの巻

1年ぶりくらいに図書館へ赴き、アニメ資料の調査へ行ってきました。調査内容は、星の子ポロンの周辺を中心に、新旧諸々色々です。

せっかくなので走り書きのメモを整形して載せてみます。テキトーな要約なので内容の正確性については保証しません。

 オイルショックのアニメ業界への影響

オイルショックで世間がトイレットペーパー不足になっている頃、動画界でも動画用紙やセルの数がめっきり少なくなった。プロデューサーは紙を求めてうろうろしてた。

アニメディア」1981年10月号
ぼくのアニメ創世記④ 本橋浩一(日本アニメ)インタビュー

 星の子ポロンやチャー研が低枚数で制作されたのはオイルショックによる影響という説がありますが、実際のアニメ業界でも似たようなことはあったようです。

 

星の子チョビンの制作時期

虫プロ解散後、星の子チョビンのスタジオゼロに呼ばれた。
・1年半くらいかけて、全部つくってから放送した。

まんだらけZENBU」No.73 森田浩光インタビュー

チョビンとポロンは放送開始が同時期であることからネタにされがちですが、制作期間ではチョビンの方が先だったようです。

音響効果の会社は どちらも同じイシダサウンドと思われますが、先行していたチョビンの企画が時報に伝わって「星の子ポロン」というタイトルになったのかもしれません。しらんけど。

 

朋映プロダクション

・自身の入社前に倒産し、近くの材木屋に身売りしていた。社長はその材木屋の893みたいな息子。
・エレベーターが8階か9階までのビルの、更に非常階段を登った上のプレハブ小屋みたいなところ。
・担当作品は「ソラン」「ロボタン」「ガボテン島」「黄金バット」「スカイヤーズ5」。

まんだらけZENBU」No.90 布川ゆうじインタビュー

以前の記事で、元朋映プロの黒田さんにもお話を伺ったことがあります。身売り先の詳細は違えど、両者のご記憶が一部合致したので感動しました。(謎感動)

doughweb.hateblo.jp

 

若林忠生さん/ワックについて

・中学の頃におとぎプロの制作現場の写真を参考にして切り抜きアニメを制作していた。
村田安司の村田漫画出身。当時大洋漁業などのCMを制作。


~TCJ時代~
・TCJに入社。
・「鉄人28号」では小室常夫と2人2班体制で作画担当。レイアウトからコンテ、撮影まで全てを担当。(村田漫画時代の経験から…)
・「遊星少年パピイ」ではコンテ演出のみ担当。渡辺米彦、佐々木浩次が参加。
・TCJ退社。


~漫画家時代~
・「週刊コウロン」で「がんばれローラー君」を連載。(TCJ所属時から)
・「少年画報」でも「アポロ王子」連載。
・「漫画読本」「まんが王」も手掛けた。


~アニメ復帰~
・朝日フィルムからの出向で東映動画の「ゲゲゲの鬼太郎」に携わる。


~第一動画時代~
・庵原和夫(TCJ時代の上司)の誘いで「黄金バット」に参加。
・「黄金バット」ではキャラデザの他、コンテ演出を50何本担当。作画は藤原万秀、又野龍也、殿河内勝が参加。
・第一動画は第一企画のビルの地下にあった。


~新世界時代~
・第一動画解散後、友達からの頼みで「新世界」(インタビュアーは新世界動画社と発言)に参加。「そばかすプッチー」「いたずら天使チッポちゃん」を手掛ける。
・「チッポちゃん」の頃に「ワック」(若林さんの事務所)を設立。


~その後~
・「男一匹ガキ大将」のチーフディレクターを担当。
・「みつばちマーヤとマウシイ」(和光プロ)参加。
<この辺からCFの仕事にシフト>
・CFを多数手がけていた実績から、エイケンの依頼で「ドタンバのマナー」「ことわざハウス」「親子クラブ」を制作。スタジオゼロ出身の久保田彰三と二人で原動画を手掛ける。
グループ・タックからの依頼で「はれぶた」参加。

まんだらけZENBU」No.11 若林忠生インタビュー

先述の黒田さんの記事の「アニメーターのトップは若林○○さん」というお話から、若林さんについて調べ始めたのですが、残念ながら朋映プロの字は一つも出てきませんでした。TCJからの出向もしくは兼務という形だったのでしょうか…?

 

スタジオジャックについて

坂本雄作のスタジオジャック (記事では「スタジオじゃっく」表記だが恐らくミスと思われる)は八村博也の背景部門、二宮常雄のアニマス、木下蓮三のロータスなど数社を内包する(?)会社だった。
・ユニオン的なものを目指してはいた。
ロータスの独立などを経て結束が弱まり(?)、解体。

まんだらけZENBU」No.90 布川ゆうじインタビュー

 

木下蓮三/スタジオロータスについて

 

九尾の狐と飛丸(殺生石

エイケンが母体となって制作。(青物横丁のスタジオ)
・作画は吉川そうじ、波多正美、永沢詢、彦根のりお(←初出?)など。
・プリントは杉山さんが持っている。

まんだらけZENBU」No.47 杉山卓インタビュー

 

スタジオゼロ関連

・アトムの「ミドロが沼」は漫画家が原動画まで担当していた。トレスからは虫プロサイド。
パーマンは演出家が作画監督まで担当していた。おとぎプロシステムの名残的な。
・70年代以降は規模縮小。CFや「祭りだワッショイ」「たまげ太くん」「チョビン」は制作。
・「笑ゥせぇるすまん」のアニメ化企画は当初スタジオゼロに話が来ていたが、当時「シルバーワールドとやま」という作品をやっていたので断った。

 まんだらけZENBU」No.11 鈴木伸一インタビュー

 

ののちゃんのデジタル作画

アニメ「ののちゃん」は完全デジタル作画の走りとも言うべき作品なのだが、1999年11月に東映アニメでタブレット作画の実証実験があり、早速2001年4月の「ののちゃん」から実用化されたという経緯らしい。

東映アニメーション50年史」

 

以上です。